佐賀の馬鉄

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佐賀の馬鉄

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■所在地佐賀市水ヶ江五丁目
■年代無し
■登録ID2427

愛右衛門橋のすぐ南側が「馬鉄道の停車跡」になっている。現在、吉原病院の敷地内に「記念碑」が建てられ、その記念碑には次のようなことが記されている。馬鉄(馬車鉄道)はレールの上の客車を馬が引く輸送方法である。佐賀の馬鉄は明治37年(1904)2月に佐賀馬車鉄道株式会社が発足し、本社および車庫を水ヶ江のこの地に設け、明治橋(現在の馬責馬場)から諸富まで、幅2尺6寸(約79cm)の軌道が敷設されたのが始まりである。明治31年、佐賀セメント会社の創業により交通の便をよくすることも考慮された。明治37年10月に開業し、明治橋、諸富間の全線を10の区に分けて営業したが、翌年には水ヶ江から県庁前、御幸橋を経て佐賀駅前まで路線を延ばした。佐賀駅から諸富までの所要時間は約1時間余りで「諸富国道ガー夕ガタ、馬場に乗ればツーツラツー、はよーねんねんしんしゃいの」と当時の子守唄にもうたわれた。大正元年(1912)神野、川上間の川上軌道が設立された。同年8月には佐賀馬鉄と合併して佐賀軌道株式会社と改名した(※)が、昭和12年(1937)には全線がバスに変わったと記されている。なお、この記念碑は吉原病院院長吉原正智先生が私費で建立された。

※合併は大正8年8月(『鉄道省文書 佐賀電気軌道 三巻』国立公文書館デジタルアーカイブ)。大正15年(昭和元年)には馬力からガソリンへの動力変更願を出しており、昭和3年には馬鉄自体は終了した。その後昭和12年に全路線がバスへと移行している。

出典:あゝ佐賀城その歴史と周辺P38

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