佐賀の化猫騒動

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■所在地北川副
■登録ID2403

鍋島勝茂公は、窮迫した藩の財政建て直しのために、領地の開拓による国益の増強を図るべく、有明海の干拓事業に着目し、白石の秀津に館を建て、よくこの館に来ては、工事の督励に当たった。
当時、武家の間には、鷹狩りの技がもてはやされ、佐賀藩でも、白石平野が藩随一の鷹狩り場とされ、勝茂公も、須古山、杵島山一帯、太原での鷹狩り、猪狩りを常とした。白石に来ては、この白石の館に滞在することが多かった。
ここに逗留(とうりゅう)する夜は、土地の者と語り合うことが常であったという。しかし、ここは龍造寺氏の家臣の領地であったために、鍋島家にとっては、必ずしも居心地は良くなかったらしい。
しかし、「葉隠聞書」によると、「この館は、白石秀林館と言い、勝茂公御狩り(須古山のお狩り)御鷹狩り(白石太原のお狩り)のため、ご逗留され候御館なり。ご隠居後は、御東(佐賀城)並びに秀津をご住居にされる思召の由……」とある。
化猫騒動は、この白石館を舞台にしたもので、寛永17年(1640)春3月のある宵、花見に疲れた勝茂公が就寝されたとき、風もない月夜に一陣のなまぐさい風がサッと吹いて、桜の花が散った。
不思議に思った千布本右衛門邦行が、南庭の方をジッと見つめると、暗やみの中に、何者とも知れぬ怪物が現われた。「おのれ化けものめ」と切りつけると、ヒイヒイとけたたましい叫び声を上げて、築山の陰に逃げ去った。
このようなことがあってから、勝茂公の近臣の発狂、庶子君の怪死などの怪しい事件が続いたり、勝茂公自身が、夜度々うなされて気分がすぐれぬ日が続いた。
そうして、ある夜の真夜中ごろ、勝茂公の寝室近くに、ただならぬ気配が感じられたので、近習の者が駆けつけると、愛妻のお豊の方が、「退れ」と、形相を変えて叱りつけたという。同じようなことが二晩も続いたことを知った本右衛門は、重松という武士と二人で、勝茂公の寝室の見通せる場所に身をひそめて、宵の口から見張りをしていた。
その夜中に、生温かい風を感じたと思うと、猫の鳴き声を遠くに聞いた気配がして、そのまま眠りこみ、気がついたときは、夜が明けていた。
前夜も怪しい気配がしたので、近習が寝所に駆けつけると、例のごとくお豊の方が、言葉も荒々しく叱りつけた。中の様子をうかがうと、勝茂公は、床の上で苦しみもがいていたという。しかし、相手は、主君の愛妻であってみれば、どうにもならない。
その翌日の夜、本右衛門は、「今夜こそ、実態を見届けよう」と心に期し、短刀を股にはさみ、眠りこけると短刀が股を刺すようにして、夜半を待っていた。どの位たったか、寝所を見やると、勝茂公もお豊の方も、もう寝ついていなければならないのに、お豊の方の影が、障子に写っていた。
よくうかがうと、寝室にただならぬ気配がし、中では、うめき苦しむようで、その度にお豊の方の影が動き、もがき苦しむ気配が感じられる度に、クックックという女の含み笑いの声が聞こえる。こうしたことが何度か繰り返されていたかと思うと、ひとしきり苦悶の声が高くなって、お豊の方の障子の影が横を向いたとき、本右衛門が見たのは、紛れもなく猫の影であった。
猫の影は、主君勝茂公の苦しみもがくのをあざ笑うように、これでもかこれでもかと、何か復讐しているような姿であった。
思わず短刀を握りしめて立ち上ろうとしたが、眠るまいとして股にはさんでいた短刀の傷で、股の痛みがひどく、どうしても立ち上がることができなかった。
間もなく寝室の灯が消えて、何事もなかったかのように静まり返り、どこかで猫の鳴き声を聞いたかのように思うと、本右衛門は、眠りに落ちていった。
昨日まで春の花に酔っていた秀林館も、今日は、惨雨愁風の妖気が漂うようであった。
今宵もまた、お豊の方は愛嬌よく、勝茂公の酒の相手をつとめていた。愛妾お豊の方が怪しいとにらんだ本右衛門は、サッと主君の居間に飛び込み、お豊の方の側に走り寄り、電光石火、エイッとばかり、大身の槍を構えて、一気に突き刺した。
この不意討ちに、勝茂公はびっくり仰天、「おのれ、本右南門、汝は乱心したか」と、大刀を取って、はったと睨みつけた。この時、本右衛門は、主君に一礼し、「殿、このお豊の方こそ、お家に仇なす怪物の化身、よくご覧ください」と言う間もなく、また女の脇腹を突き刺した。
近習の家臣たちが、すわ一大事とばかり、時を移さず、お居の間近く駆け付けた。
本右衛門の最後の槍先は、化猫の本性を現わした怪猫の急所を貫いた。怪猫は血に染まりながら、のたうち回り縁側から庭先へ逃げうせた。短い夜が明けてみると、築山の陰に怪猫が打ち倒れて、うめいていた。
それは、物すごい大三毛猫の死がいであった。
千布本右衛門は功労によりこの地に領地を賜った。

出典:わが郷土北川副町の歴史P150