国鉄佐賀線跡

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■所在地佐賀市北川副町
■登録ID2367

昭和の初め頃は、諸富から佐賀市までの道 (国道208号線通称諸富国道) は、舗装がされていないため、石がゴロゴロした道路であった。
馬鉄も昭和3年までは開通していたが、人が歩くだけの道となり、トラック・乗用車はまれに通り、馬車、車力とリヤカーが走っていた。
歩くことが中心であった頃に、鉄道が走ることになったのは大きな変化で、国鉄佐賀線は、昭和4年3月に着工し、10年5月25日に開通した。建設のために、大木遠吉鉄道大臣(大木喬任の第3子)の尽力があったそうだ。
国鉄佐賀線は、佐賀駅からの駅は、東佐賀、南佐賀、光法、諸富、若津、大川、柳川、三橋、百丁、終点は瀬高駅であり、これらの駅から集団就職、戦争出征等でも利用された。(北川副町内には南佐賀駅と光法駅があった)
車両は最初はガソリンカーであった。 昭和62年3月27日に廃線となり、今は桜並木の自転車道と筑後川昇開橋と佐賀線しのぶ橋が残っているだけであるが、当時、南佐賀駅から光法駅まで植樹した桜は、今や見事な桜のトンネルを作っている。県外からの見物も多く絶賛の評価を受けている。

出典:地域の人からの聞き取り

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