日枝神社

日枝神社

  • 日枝神社
  • 日枝神社
  • 日枝神社

■所在地佐賀市木原一丁目
■年代古代
■登録ID2341

【祭神】
祭神は、大山咋神、八王子神、大物主神、岡象女神、武甕槌神、菅原道真
桓武天皇の御代、延暦23年(804)伝教大師(最澄、天台宗開祖)求法の勅願をこうむり、朝廷から還学生という身分を与えられ、遣唐使と共に、遣唐船に乗って中国に向かって船出されたが、途中嵐に会って波浪に押し流され、一つの島にたどりつかれた。あたりを見回わされたとき、この島は諸木が繁茂し、広い土地で、まさしく五穀豊穣の霊地であると感賞され、帰朝の折ここに船を留め、民家を建てられた。ここにおいて、当国万歳・諸難救済・国土安楽の守護神として仰ぎ奉らんと、大師は、比叡山(本山延暦寺)にあって、薫香の1本をもって、自ら山王の神像と八王子の神像を刻んで木原武藤の津に安置し、江上福満寺鎮護の神として敬われたのが、日枝神社の源で、大同元年(806)であった。
その後、戦乱のため社殿が焼失したが、龍造寺剛忠公により社殿が再建され、隆信公のご母堂が深く信仰され、その後も修復が続けられた。
慶長年間(1596~1615)、鍋島直茂公(日峯様)勝茂公(初代藩主)が柳川攻めの折、当社に戦勝の祈願をこめられ、帰陣後直ぐに社殿、神門などを新しく造営され、1反余御免地、御紋付、幕、提灯(ちょうちん)などを寄進され、その後も藩主の尊敬あつく、修復時には、時を移さず修造された。
明治6年2月村社となり、明治45年1月、国から神饌(せん)幣帛料供進の指定を受けた。その後、氏子の各地区の無格社、石仏、道祖神などが、境内に合祀されている。

祭りは、儀祭2月24日、春祭4月15日、夏祭7月15日、秋祭11月23日の4回行なわれ、大御田祭が申歳に、4月15日を中心に13日間の大祭として行なわれている。
境内の西南の角に、脱腸の神様(ガランサン)と熱の神様が祀られていて、昔から参詣(さんけい)者が多く霊験あらたかな神として評判が高かった。今の台座は、全快のお礼に奉献されたものである。
その他、石造文化財として、天満宮石祠、天照大神宮、アク大神宮及び延享2年(1745)寄進の常夜燈など多く存在している。
このほか、古くから続けられているおかゆ開きの行事がある。節分の日に、おかゆを炊いて神前に供え、2月15日に下げて、かゆに生えたカビのつき具合で、米の豊凶、天候災害、火災、怪我、病気の流行などが占なわれて、参詣者も多い。

出典:わが郷土北川副町の歴史p112

地図