高城寺伝説

高城寺伝説

■所在地佐賀市大和町
■登録ID2333

 このお寺の開祖といわれる順空和尚(後の円鑑禅師)の父がある夜夢を見た。1人の沙門がきて、「しばらくお宿をお借りしたい」としきりに頼むが父は「いやだ」と受け入れなかった。父が「あなたはどなたですか」と尋ねると「私は寂照法師というものでございます」といったところで夢がさめてしまった。やがて順空和尚の母がみごもったが、父母は仔細あって京都へ上った。備後(岡山県)と安芸(広島県)との境の所で天福元年(1233)5月1日に無事に男の子が生まれた。それが順空である。父は夢の中のお告げを思い出し、順空が3才になった時「お前は何者だ、末世を聞こう」というと順空は「私は円通でございます」と答えた。父は「さては夢でのお告げは違ったのか、わが夢ではたしか寂照法師という名前だったが………」としばらく思案していたが、ある日白拍子が、わが国で寂照法師と唱えている者は大唐の国では円通大師という意味の歌を歌っているのを聞いて、さてはあの霊夢は間違いではなかったと大変喜んだ。実はこの寂照法師というのは大江貞元入道のことで、唐に渡って呉門寺におり円通大師と称していたそうである。父は寂照法師の再来であるこの童子を連れて水上山の栄尊和尚のもとへ出家させた。栄尊はこの童子に順空と名付けて都へ連れ上った。そして東福寺の聖一国師に会って「この法師は名誉の者である。私(栄尊)のような者の弟子にはもったいない、師の御子として都の法をも教え給え」というと国師は早速承知してくれた。順空はここでしばらく修行してから鎌倉の蘭溪禅師が高徳の僧であるということを聞いて、みずから申し出て鎌倉へ行った。順空が蘭溪禅師を訪ねた前日の朝方、虚空から鷹が舞い下りてきて蘭溪に給仕する夢を見た。夜が明けてから禅師は弟子たちに「今日は必ず不思議な僧が来てわが弟子となるであろう」と語ってからしばらくして順空法師がやってきた。蘭溪は今朝の夢は正夢なりと大いに喜んで師弟の契を結び、順空はここで修行を重ねてすぐれた僧となった。最明寺入道時頼はこの順空に帰依が深く入唐することを勧めたので、唐の経山寺に行き数多の高僧の教えを身につけて帰朝し、文永7年(1270)春日山高城寺を開いて住持になったということである。(肥前古跡縁起より)

出典:大和町史P.667〜668

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