春日・東山田・西山田

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春日・東山田・西山田

■所在地佐賀市大和町
■登録ID2312

 今からおよそ1400年以上前、皇后に皇子が生まれないときは、皇后の名を残すため「女代田」という御料地をおいて、その収穫物を納める屯倉(朝廷直轄の倉庫等)を設ける習わしがあった。安閑天皇の皇后春日山田皇女に皇子がなかったので御料地を春日村に置いた。その皇女の名をとって春日、山田の地という説がある。又一説にはこの屯倉は熊本県託間郡三宅にあったともいうが、今のところ春日村内に「屯倉」の跡とされるものは見つかっていない。
 高城寺の後ろの山は昔甘(神)奈備山といったのが、後世春日山というようになった。それは春日明神垂跡の霊地から来た名で、高城寺の山号を春日山というのもそれによると高城寺記に書かれている。
 甘奈備城主高木氏は藤原氏の末孫で、藤原氏の祖神は春日明神(たけみかづちの神、いわひぬしの神あめのこやねのみこと、ひめ神)であるから、この山頂に、あめのこやねのみことを祭神として甘南比社が建てられた。春日の地名も恐らく春日明神の春日をとったのではなかろうか。
 「山田」の地名は、和名抄に「佐嘉郡山田郷」とあり、鎌倉期に鋳造した健福寺の銅鐘にも「佐嘉郡山田西郷」と書かれている。肥前風土記には「佐嘉郡の西に佐嘉川があり………土蜘昧大山田女、狭山田女の二女………」とあり、山田に住んでいた姉妹のことで奈良時代以前に山田の地名があったようである。

出典:大和町史P.610〜611