今山古戦場の碑

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今山古戦場の碑

■所在地佐賀市大和町今山
■登録ID2220

今山の戦から丁度100年後の寛文9年(1669)8月20日(新暦9月15日)の百年忌に際して、高城寺の住職は親貞主従の墓を赤坂山麓に建立した。後年親貞の墓は成松信勝の子孫の希望で更に高い赤坂山の頂上に移された。今は山全体が密柑山で頂上まで舗装された道が続いている。山頂の大友公園には親貞の墓と大和町が建立した「今山古戦場」の碑が並び建てられている。親貞の墓は自然石で、碑面に「無庵玄鑑居士」の法名が刻まれているが、300年の星霜に碑面の文字も定かでない。麓には従者の墓と言われる3基が残されている。
 成松信勝が龍造寺隆信からもらった感状である。
去廿日於今山豊州陣切崩刻抽粉骨人躰大友八郎方被討捕之段高名無
比類侯弓矢静謐之砌可加扶助候別而辛労之趣向後不可忘却之状如件
 元亀元年
   八月廿六日   隆信(花押)
 成松刑部少輔殿
 又敵将大友親貞を討ち取った時に使用したと伝えられている槍は径3cmの木柄、全長431cm(2間半)で、穂先は16.3cmの直槍、平肉に独鈷剣の彫物があり、中心には「相州住周廣」の銘がある。この槍は県立博物館に寄託されている

出典:大和町史p212〜218

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