鍋島直正と春日御墓所

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鍋島直正と春日御墓所

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■所在地佐賀市大和町都渡城
■年代近世
■登録ID2120

 都渡城の「青年の家」バス停から東へゆるい坂道を100mほど上り左へ折れ、林の中を進むとやがて平坦な一区域がある。ここが往時の名君鍋島直正(閑叟公)の御墓所である。緑の老松が周りを囲んだ清浄閑佳の地で、公が生前、この春日山一帯をこよなく愛好していたので、この地を御墓所に選んだという。墓は南面し、高さ3.3mの巨大な自然石に、
    原肥前国主累遷従二位大納言
    贈正二位藤原朝臣直正卿之墓
     明治四年辛未正月十八日薨
 とあり、墓碑のうしろには土盛りをした円い墳丘に、公の遺髪が葬られている。墓前には明治4年(1871)鳥雲隊献納になる石燈籠が建てられている。
 公は文化11年(1814)、江戸桜田屋敷で生まれ、明治4年1月18日58才をもって同所で死去し、遺骸は麻布の賢宗寺に葬られた。遺髪は同年3月23日鍋島河内、中野数馬によって佐嘉邸に入り、4月7日本葬が行われたのち、三の丸を出棺し御墓所に葬られた。又松原神社南側に神殿を新築して公の御霊を祀った。明治8年(1875)県社になり、明治35年従一位に叙せられている。更に昭和4年11月10日、別格官幣社に昇格を機会に銅像園内に佐嘉神社造営の地鎮祭が行われた。同神社の設立については、同年始めごろからその建設が本決まりとなっていたが、場所が決まらずのびのびとなっていた。同年5月、佐賀郡北部の春日、川上、松梅、金立など九か村が期成同盟会を組織して、この神社を春日山に造営する運動を続けていた。しかし、6月になって敷地は銅像園内の神域にすることに決定してしまったのである。
 翌年8月1日から社殿建築の本工事に着手し、満4年の歳月と27万円の巨費を投じて8年8月に完成した。9月23日午後9時から、夜をこめて古式ゆかしく遷座式が行われ、10月13日に勅使参向のもとに盛大な列格報告祭が挙げられた。
 直正公の墓碑と並んで、向かって右側に同型の巨大な自然石の鍋島直大公の墓碑が建っている。その碑面には
    従一位勲一等侯爵鍋島直大之墓
        大正十年六月十八日薨
とあり、うしろに土盛りした円い墳丘が築かれ、直大公の遺髪が葬られている。公は大正10年(1921)6月18日、76才で東京邸に死去し、その遺骸は麻布区賢宗寺に葬り、同年10月16日遺髪を御墓所に葬った。碑のかたわらに、大正10年旧藩士民が直大公のために献納した石燈籠が建てられている。閑叟公を慕って殉死した古川松根の墓は、閑叟公のすぐうしろに公をまもるかのように控えている。

出典:大和町史P.305〜307

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