人柱伝説

人柱伝説

■所在地佐賀市川副町
■登録ID2094

 元禄16年の申の年、下早と中津の渡し場の中間あたりに堤防があった。その堤防が台風と大雨のため決壊してしまった。
 地元の人々は、堤防修理に努めたけれども、水がどうしても止まらなかった。そのため当時の庄屋さんが、
 「私が人柱に立つ」と言った。そして庄屋さんが人柱に立つことになったけれども、その奥さんが、
 「あなたがここに人柱に立ってもらえば、後を治める人か誰もおらん。だから、私があなたの代わりに立ちます」と言った。
 そして、奥さんが人柱に立った。すると、不思議にも水は止まった。村の人々は庄屋の奥さんに感謝した。村人の一人が、
 「こりゃどうしても、その人のために毎年供養をしてやらんといかん」と言った。村の人々は、供養することに賛成した。
 村の人々は、下早の土居の曲がったところに石の祠を祭り、その側に榎の木を植えて八龍大明神さまを祭った。
 村の人々は、庄屋さんのおかげで毎年、米も豊作になったと。
 それから、八龍大明神という旗と、志賀大明神という旗を掲げて戦いに行くと、負けたことがなかったと。
             (下早 古賀八郎)

出典:川副町誌P.914