西与賀の干拓

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西与賀の干拓

■所在地佐賀市西与賀町
■年代近世
■登録ID208

古来有明海は自然の営力による堆積作用が著しく、自然陸化する地域が所々にみられ、その土地を人々は開墾していったが、人口の増加はさらに広大な圃場を必要としていった。佐賀地方における干拓の開始時期は鎌倉時代とされているが、やはり江戸期から近代に至る間にその大半は形成されている。
江戸期においては藩をあげて干拓事業に力が注がれ、機構的にも殖産興業を目的とした六府方が天明3年(1783)に設置され、その中の搦方が中心となっていた。この六府方は治茂治下、長尾矢治馬(東郭)の献策によるものであり、これをうけて設置されたもので藩の財政に大きく寄与することになった。財源は万人講(現在の宝クジ)の収益金の5割をあて、大規模事業を実施していった。また民間資本による干拓も後年認可され、干拓事業は隆盛をきわめる。明治期になると築造の工法も近代的になり、事業規模はさらに大きなものも可能となり現在に至る。

出典:西与賀の歴史とその周辺p4