福田よし

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福田よし

■所在地佐賀市川副町
■年代現代
■登録ID2075

福田よしは、明治29年1月1日(1896)早津江村の素封家・弥富伴吉、イソの三女として生まれる。恵まれた少女期を過ごし、県立佐賀高女を卒業。19歳のとき神埼郡田手の大地主・藤山家の次男に嫁す。不幸な結婚生活は7年続き夫の病死でピリオドを打つ。4年後(よし 29歳)、八女市の病院長・福田正三と再婚。生涯でもっとも幸せな生活はしかし、正三の急死で12年間に過ぎなかった。
 3人の子どもを抱えて佐賀に居を移した福田よしは、それから超人的な活躍をはじめる。敗戦後間もなく、女学生を教育する「わか葉寮」を設立。昭和25年には後の母子連盟である「みゆき会」を創立。お堀の楠伐採騒ぎでは、身を挺し私財も投げ出して楠を守る。翌年、佐高女同期の友人野田ミツと共に佐賀県議会初の婦人議員になると、時の政府を動かして母子福祉法の交付に力を尽くす。また、母子福祉資金の貸付け、母子寮の設立、母子相談所の設置など、戦争で父を失った母子家庭の福祉のために働く。
 昭和33年3月15日、波乱の多い60歳の生涯を閉じる。今、西堀端の楠の大樹に抱かれるようにして「佐賀のお母さんと慕われた情熱の人」福田よしの顕彰碑が建っている。

出典:豊増幸子「肥前おんな風土記」(佐賀新聞社・S51年刊)、西村しず代「疾風のように‐福田よしの生涯‐」(佐賀文学23号・H18年刊)