西与賀町の成立

西与賀町の成立

■所在地佐賀市西与賀町
■年代近代
■登録ID207

藩政期には本藩の蔵入地であったこの西与賀周辺も、版籍奉還という全国的な改革の中で新たな行政区分が設けられた。
明治6年(1873)の大区小区制では厘外村を第14大区第2小区、高太郎村を第14大区第1小区とされていた。次いで明治21年(1888)に公布された市制・町村制では、佐賀郡厘外村、高太郎村を合わせて西与賀村が成立した。この時、佐賀市は町制か市制かの論争を経て、明治22年(1889)に旧城下と周辺の地域を含み市制がしかれた。
大正11年(1922)に佐賀郡神野村を市に編入。昭和29年(1954)3月、佐賀郡内の高木瀬・兵庫・巨勢・嘉瀬と同時期にこの西与賀村も佐賀市に編入され、同年10月、同じく久保泉・金立・鍋島・本庄・北川副を編入。翌30年には神埼郡蓮池町(一部を除く)を編入し現在に至っている。

出典:西与賀の歴史とその周辺p2