中島ぼり

中島ぼり

■所在地佐賀市川副町大字鹿江・小々森・早津江
■年代中世
■登録ID2060

 現佐賀市役所川副支所庁舎の南側を東西に走る川幅約20数mの堀がある。この堀に沿って西へ咾分交差点を過ぎ、集落近くに来ると堀の中に竹林や雑木林の島が見える。私達はこの堀を通称「中島ぼり」と呼んでいる。東は幹線水路徳永線から、庁舎南側、咾分、小々森、波佐古、重久、久町に至る「ほり」は、丁度鹿江本村を囲むように連なっていて、1,500年代初め頃、築かれた大規模な堤唐跡と言われている。
現在、その景観を残している「中島」は 1 咾分東側・2 咾分より小々森への出口・3 2の道筋小々森の入り口・4 小々森と波佐古間・5 波佐古の出口付近のみである。          
筑後川や嘉瀬川水系の大小河川の氾濫による大量の土砂と有明海の干潟や潮流による堆積作用は干潟化を促進した。自然の猛威への備えは、本土井・潟土井・潮土井からなっている。海側の潟土井が自然堆積で完全に干潟化するころには、その先の潮土井に、これまでの本土井の土砂を崩し、運搬し、より強固な堤唐とした。本土井は両側から深く削られ、灌漑排水の「ほり」として残ったものである。この「中島ぼり」は江戸時代から昭和最後の堤防(佐賀空港の南の地先)まで、佐賀県干拓史に記述されている以前の堤防の痕跡として貴重なものと考える。

出典:地域の人の解説