神野公園

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神野公園

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■所在地佐賀市神園四丁目1-3(神園)
■年代近代
■登録ID1890

 旧藩主鍋島直正(閑叟)公の別邸で弘化3年(1846)に造成された。一般には「神野のお茶屋」と呼ばれていたが、大正12年(1923)3月に鍋島家から佐賀市に寄付され、公園として市民に開放され市が管理することになった。公園には、多布施川の清流を引いて池を造り、小山を築いて四季の植物を配した日本庭園と睡蓮池や展望台を備えた洋式庭園があり、動物園、こども遊園地、野外音楽堂、野生のトンボを観察できる「とんぼ池」なども設置されている。また、園内には幕末から明治初期にかけ活躍した江藤新平の銅像、宮地嘉六文学碑、中島哀浪歌碑などがある。
 公園内には約1,000本の桜があり、そばの多布施川沿いの約3,000本の桜とともに、4月初旬には多くの花見客でにぎわう。小城公園(小城市)、旭ヶ岡公園(鹿島市)とならんで県内三大桜名所と言われている。
 昭和34年(1959)1月、都市公園として計画決定され、公園面積は5.4haである。公園の西隣には、昭和45年(1970)に開園した交通公園がある。
【思い出】
 正面から入った所にある二棟の建物が当時の別荘で、園内には多布施川の清流を引いた池があり、築山は老松古梅その他の樹木が雅趣を添えていた。
 市は公園として拡張し、終戦前には、今の睡蓮の池の辺りに運動場が造られ、市内小学校の連合運動会も開かれた。戦後、更に拡張整備され、動物舎、小鳥舎、そして子供遊園地などが造られ、江藤新平像、宮地嘉六句碑、中島哀浪歌碑も建立され、築山西側の田圃に西神野の農家の人々によって、当時としては珍しい苺園が作られ、一般に公開されたこともあったが、今は交通公園となり、面目を一新した。市の内外の小学校一年生の春の遠足は、たいていここに来ることが多く、市民の憩いの場所として親しまれている。(『神野小学校百周年記念誌』による)

出典:神野p.165

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