本庄江湖

本庄江湖

■所在地佐賀市西与賀町
■年代中世
■登録ID189

本庄江は鍋島深町の北部一帯の小河川の流れを集めて嘉瀬、西与賀を経て有明海に注ぐ延長約8.1kmの河川で嘉瀬川水系に属している。
この川は人工の河川で文明14年(1482)少弐氏が開削したと伝えられている。
上流の高橋は八戸宿の西の端にあたり佐賀城下の入口で番所が設けられ、本庄江湖をさかのぼる川舟の終点でもあった。
この周辺はかつて荷を運搬する牛馬や人々が往来し長崎街道の物資の集散地として栄えた。
佐賀藩が嘉永3年(1850)西洋式反射炉を造り大砲鋳造所で長崎防備用の大砲を見事に鋳造した。これらに必要な原材料である南蛮鉄や、石炭等は本庄江湖を利用して運ばれており、藩政時代には運河として重要な役割をもっていた。

出典:西与賀の歴史とその周辺p85