若宮神社
若宮神社
■所在地佐賀市天祐一丁目2-37(天祐1)
■登録ID1864
若宮神社には、若宮八幡宮(応神天皇)を祭ってあり、旧中折地区の氏神様として、深く信仰されている。縁起については、記録がなく詳らかではないが、與賀神社の古文書によると、今から3百年以上の昔から與賀神社の末社として祀られていたようである。
古老の言い伝えによると、旧中折地区には、鍋島藩政時代に下級武士たちが居住し、武士として奉公する傍ら百姓を営んでいたようで、武神として、また、五穀豊穣の神として祀ったのが、始まりと言われている。
また、こんな言い伝えもある。明治42年頃、政府の命令で全国の神社が整理統合された際、若宮神社は掘江神社に合祀された。ところが、その年8月に赤痢が大流行したため、氏子達は若宮八幡宮のお怒りではないかと恐れた。そこで氏子代表が、元の地へ移して欲しいと交渉したところ、政府の命令だから公然と渡すわけにはいかぬ。神殿の施錠を忘れて盗難にあったことにしようと、暗黙の了解ができた。
こういう経過を経て、現在地に神社を再興した結果、猛威を振るった赤痢の大流行も小康を得たという、エピソードもある。 なお、この例祭日は、従来まで旧暦の2月1日の桃手祭、6月23日の夏祭、11月13日の霜月祭がある。桃手祭では、「的射り」といって、藁で作った雄雌二匹の山犬を竹の弓矢で射る行事があり、厄払い、家内安全、地域の発展を祈願する神事が行われていた。また、旧暦では現代社会にマッチしない面があったので、與賀神社宮司、崇拝者、氏子等の意見を聞いて、昭和63年から、桃手祭を3月1日、夏祭を7月23日、霜月祭を12月13日の新暦で実施することに変更した。
現在の桃手祭は、竹の簀の子に白紙を張って「鬼」と書いた的を立て、これを竹で作った弓矢で射る行事に、夏祭は、祇園祭とも言われ、昔は子供達も大勢参拝していたそうで、豆を炊いて接待するなどの風習があったが、今は全く廃れて、ただ神事だけを、霜月祭には、自治会役員を始め、氏子、崇拝者たちが集まって、大きな注連縄を作って、拝殿の古い注連縄と取り替え、新しい年を迎えるための行事に変わりつつある。
出典:若宮神社由来記