石井貞興

  1. 人物
  2. 人物
  3. 検索結果
  4. 石井貞興

石井貞興

■所在地佐賀市高木瀬町
■年代近代
■登録ID1822

 石井貞興は天保11年3月生、佐嘉藩士櫛山彌左衛門の長男、幼名竹之助、後、本家石井忠克の嗣と爲り、石井貞興と稱す。少壮、枝吉神陽、石井松堂に就て經學を修め、且つ意を武技に留め槍術馬術は彼が得意とする所なりと云。戊辰之役、奥羽征討軍に従軍と記録あれば、家老鍋島平五郎の隊に屬し、奥羽先鋒總督九條道孝の麾下に入り、奥羽二十餘藩聯盟の佐幕軍と戦ひし事ならむ。明治3年冬佐嘉藩少参事に任ぜらる。明治4年7月、廢藩置縣令の施行に伴ひ、改めて佐賀縣權典事に任ぜられ、幾何も無く佐嘉縣大屬に任ぜらる。廢藩置縣後、新に任命せられて赴任せる知事、参事、縣内の事情に晦く、実績擧ぐる能はず、然れば縣政百般の運営は皆石井氏の司る所にして、陰然佐賀縣の実權を掌握せる由。明治7年2月、風雲急を告ぐるや、征韓黨の帷幕に参じ、首謀江藤新平を輔け畫策する所尠からず。殊に彈薬の供給、兵糧の確保等軍需物資の運轉に萬全を期せし、其功偏に氏の手腕によるものなくんばあらず。戰敗れて薩摩に奔る。薩の梟勇桐野利秋、非運を憐んで之を庇護す。丁丑之變に際曾、貞興、慨然、知己の恩に報ぜんと欲し桐野利秋に随ふ。此を以て薩軍奇兵隊總監軍に擧げられ、各所に轉戰大いに官軍を撃破せるも、後半に至って戰況利有らず、遂に日向に退き長井村の重圍を突破して、深夜可愛嶽の天嶮を越ゆるに際し、貞輿過って深壑に陥り意識を失ふ。官軍の兵来りて之を捕ふ。9月5日長崎に送られ、10月26日、元麑島縣令大山綱良等と共に斬に處せらる。享年35なり。

出典:高木瀬町史P80〜81