金刀比羅神社

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金刀比羅神社

■所在地佐賀市金立町大字金立字大門3349
■年代古代
■登録ID1723

金立町大門の金刀比羅山の頂上近く鎮座するお宮である。金刀比羅神社は人皇第50代桓武天皇の宝亀5年(774)今の権現中原山に建立されたが其後数次の兵火に遭い、殊に大友宗麟の西征の際龍造寺との戦の際宗麟に焼かれて堂宇烏有に帰し顛末が詳かではないが古老の言と鍋島譜蔵書中に散見するものによると、天正5年元信徒連の(権現原より大島清八氏、熊山より熊山宗右衛門の2人)代表者讃岐の金刀比羅宮の御分霊を受けて再建を計り後龍造寺隆信社殿建立して豪族武将の崇拝篤くなり、文禄慶長の役には鍋島直茂出陣に際し武運長久、海上安全の祈願を成就し、元和元年願成就の為山林を寄進し、其後守護の神として神徳輝やき寛永19年島原の乱出陣と共に藩士民の崇拝加わり、享保17年鍋島宗茂公(5代藩主)若殿(宗教)大病を患い平癒祈願の結果神徳霊験高く全快せり。
 宝暦2年(一説宝暦4年安置)御願成就の為熊山の地(五町余)を撰び其の中腹肥筑平野を俯する眺望絶佳の地に荘厳華麗なる社殿を建立して遷座奉祀されて今日に到ったもので、其の間藩主藩士民の崇敬者加わり明治以後は度々の戦役に神徳輝き勝負の神、武の神、海の神として遠く有明海岸の人々まで参詣者は仲々数多いものがある。 祭神は崇神天皇、大穴弁次命(大国主命)少彦名命(医薬の神)多岐津姫命(海を司る神)
  ○板碑
 板石塔婆ともいう。鎌倉時代におこり、室町時代には形式化板状の石を用いて卒塔婆の一種として発生した供養塔である。
 板碑に多い信仰は、阿弥陀如来を供養して浄土往生を祈願した。
 阿弥陀如来が、観音・勢至両菩薩を脇侍として従えた阿弥陀三尊あるいは一尊をほん字で表現したものが多い。
 題目をあらわしたものもつくられている。
  ○ほん字と種子
 板碑をはじめほとんどの石塔に、仏教上の権威ある象徴として、ほん字が刻まれている。ほん字は、ほん語を表記するために用いられた古代インドの文字であるが、中国・日本では、ほん字のもつ呪術的威力が強調され、あらゆる仏教遺物にはん濫するまでになった。
 板碑などでは、ほん字一字をあてて一定の仏菩薩をあらわす。
 その一字が限りない仏の恩恵をうけるものとみる密教観から種子とよんでいる。すべての功徳が生ずることを草木の種子にたとえていったわけである。

出典:ふるさと金立(その2)p.3

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