小柳助治

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小柳助治

■所在地佐賀市(開成校区)
■登録ID1716

 工学士。京都大学卒業後長崎三菱造船所電機設計課交流係主任の要職につき、在職10年にて帰郷し、佐賀中学の教職につき10年。退職後佐賀機械工業組合を経営し、終戦後は農業の傍ら読書思策を続け、「哲学の根本」、「唯空論と唯物論」、「唯空論哲学摘要」などの著書がある。また戦後混乱の昭和22年10月から初代鍋島公民館長として活躍、公民館生みの親としてその基盤を築いた。彼は無類の記憶力と読書力があり興至れば、三昼夜宗教書を読み耽ったこともあるという。三菱では電気工学の権威としてアメリカ留学を命ぜられ、佐中では物理主任として、名物教師であり、腕白少年たちからドンポー先生の愛称で敬愛され、一面奔放奇抜、談論風発、その超人的勉強と野人ぶりは鍋島一の異才であった。

出典:鍋島町史 第一篇p.80