新村江湖

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■所在地佐賀市開成6丁目
■登録ID1714

 旧新村沖田の中央より(現在の開成6丁目)新村川を立体に交差して現在の開成5丁目の中央を南に流れる水路を藩政時代の昔より江湖と言っていた。
 この江湖は本庄江湖の上流に当り、旧新村の北部一帯の全ての排水を集めて新村江湖〜上碇川〜本庄江湖と流れ、有明海に注ぐ、新村地区の幹線排水路である。
 昔は川幅も広く水量も多く流れ、川底は砂地で春にはしじみや溝貝等が沢山取れた。また、途中の入江には藩政時代には、船の帆柱が埋まっていた等と、古老達に語り継がれていた様に、下流の深町や坂井地区に止井樋や防潮樋椚が築造される前までは大分上流まで有明海の潮の干満の影響があったようである。又、新村江湖は徳川時代初期に成富兵庫茂安が多布施川を築造する前までは、洪水の度に川道を変えて乱流する嘉瀬川の一支流の一つであったと思われる。
 成富兵庫茂安が多布施川の付属河川として築造した植木川や新村川を築造の際は、その支流の水路と何箇所も交差する事になるので、植木川と新村川は色々と工夫されて造り替えられている。植木川は植木川の北100mの所で既設の水路を切断してバイバス河川の、八尻川を新設して、これより北部の水路を全て集めて西に流し、東新庄を通り、江頭の方に植木川に平行して流れる様に付替え、深町の汐止樋椚を通り、本庄江に流れている。植木川から沢山の小水路(シードウー)より流れ、新村川の北部の水田を潤し、使用後の余水や使用された排水は、既設の堀に集められる。そして、現在のお観音さん前と開成6丁目の中央で新村川を立体で交差して江湖に流れ、南の上碇樋を通り、坂井地区の止井樋で調整されて、東新庄を回って流れて来た八尻川と合流して、本庄江湖となり有明海に注いでいる。
 又、新村川を立体で交差した樋門の上流は2ヶ所とも角目地区(植木川)の手前100m近くまで水路が伸びていたが、現在は北部バイパスの開通や周辺の工業技術センターや卸団地等県の施設建設で付け替えられ、其の姿は殆ど無くなり、草むらの中に僅かに当時の面影を見る事が出来る程度に変更されている。よって、新村江湖は多布施川が築造される前は乱流する嘉瀬川の支流の一部だった事が裏付けられる。又、多布施川の付属河川として作られた新村川や植木川が人工の川で、同河川築造の時に、新村の全ての堀や水路は付け替えや改造された。
      

出典:開成かたりべp.29

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