江頭城趾

江頭城趾

■所在地佐賀市鍋島町(江頭)
■登録ID1695

 戦国の昔、佐賀の豪族今川伊予守胤秋は、小城の千葉家と寛正、文正、応仁の頃争っていた。そして胤秋の家臣江頭摂津守の城が鍋島村江頭の大西にあった。応仁元年(1467)6月千葉介教胤を討つため小城境に出陣し、今川にて決戦し、大将今川胤秋はじめ、家人江頭摂津守、同又太郎など佐嘉の重なる武将はみな討死した。のち居城は龍造寺の手に帰し、今では跡形もない。胤秋は法名を日今と号し、東新庄日音寺に葬られた。同寺は今はないが、胤秋の母日音女の建立したもので、日音は千葉胤基の息女に当たる。

出典:鍋島町史p.161