江藤新平乗船の地

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江藤新平乗船の地

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■所在地佐賀市西与賀町丸目
■年代近代
■登録ID168

江藤新平が明治7年の佐賀戦争に敗れ鹿児島に逃れようと乗船したのがこの地である。
江藤新平と本村との関係は、その青年時代厳父に伴われ西田代本行寺小路から丸目村に引越し、寺子屋を開いて父の教育を補佐したことがある。今日寺子屋の跡はみられずその後に百崎宅が建てられている。
このようなことから本村の地理に通じていて丸目を選んだのであろう。
江藤新平は戦利あらずと見えて山中一郎、香月経五郎、中島鼎蔵、山田平蔵、生田源八と共に相応津に来て先ず本村清方宅で出航の準備をし、飴等簡単な食品を購入して乗船したという。現在この地には標柱が建てられている。

出典:西与賀の歴史とその周辺p10

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