大坪 虎三郎

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大坪 虎三郎

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1511

明治20年〜昭和49年(1887〜1974)医師
 久保田町久保田宿の大坪浅吉の長男として出生。久保田村立思斉小学校を卒業し、旧制小城中学校(現在の小城高等学校)に進学。久保田宿〜小城町間を、毎日徒歩で通学し、心身共に強健で努力家だった。卒業と同時に長崎医科専門学校に進学、医学の道を志した。卒業後は牛津の西町に医院を開業したが、その後、妻の実家から招かれて、熊本県の人吉に移り、関係の医師3人で協力し球磨病院を開設、地方医療の改善・向上に尽力した。なお、旺盛な研究心は国内に止まる事無く、アメリカでの研究を切望し、許されてシカゴ大学の留学生として3年間、内科の呼吸器を中心に研究に専念。帰朝後、久保田宿の祇園社境内で、来賓・親族・宿関係者多数参列の中で、帰朝報告並びに祝賀園遊会が盛大に開催された。更に大正12年、慶応大学医学部に2年間研究生として席をおき、専門研究分野である呼吸器の病理、特に当時治療極めて困難と云われていた「肺結核」についての研究に精魂を傾注し、書き上げた論文が認められ医学博士の称号を授与された。久保田町における医学博士の第1号といわれている。
昭和の初期、佐世保市に於いて医院を開業し、戦時体制下の市民の医療に努め、推されて市の医師会会長に就任。医師会の発展、医学の進歩向上、医療業務の改善に尽力したが、戦争激化に伴い開業困難となり再び人吉市の球磨病院へ戻り医療を続ける。享年87歳

出典:久保田町史 p.341〜342