原田 干之

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原田 干之

■所在地佐賀市久保田町
■登録ID1501

大正4年〜大正8年(1915〜1919)勤務期間 教育者
 西松浦郡西山代村大字久原の出身で、西松浦郡視学等を勤めた。
 その当時、最も残念に思ったのは、西松浦郡小学校教育界で師範学校入学者の少ないことで、とくに女子は2年に1人位であった。そのため佐賀・小城方面から年々任用はされるが、長く留まらず、日々の授業に熱意が欠け遺憾な点が多かった。そこで、その救済策として、師範学校入学者の卵とも言うべき、尋常科準教員養成所設立の急務を思付いたが、当時いずれの郡にも該当施設はなく、郡会に発案しても賛成を得ることが出来ず、生徒からの月謝で嘱託教員3名を置いて開設した。入学者は各小学校の高等科卒業生より男女40人の生徒を集め就業年限は1年で、県庁では修業生には無試験で尋常小学校準教員の資格を与えるとの了解ができ、郡内教職員の補充難を緩和することができた。それは明治43年の4月のことであった。 思斉尋常高等小学校校長、僅か4年の勤務であったが、「動的教育」という新教育方法を徹底させた。つまりドルトンプランの日本版というべきものであった。自主性・主体性を育てる、積極的なグループ学習の形態であった。辞書を使わせ、予習を重視し、生徒にディスカッション(討論)を盛んに行わせ、教師はこれを指導する。常に問題を持ち、質問・討論し問題を解決する雰囲気を作り上げた。原田校長の講話は、用意周到で原稿は巻紙に筆で書き、しかも朗読ではなく、威厳があり説得力のある話し方であった。久保田に偉大な影響を与えた名校長であった。当時の思斉校は県内外からの学校視察が絶え間ないほどであった。当時の村長石川又八は、教育の重要性を説き、特に女子教育躾教育が大事であることを強調し、大正3年(1914)久保田村立実科女学校を設立、初代校長は原田干之であった。

出典:久保田町史 p.332〜333