搦東の八幡社(三祠)

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搦東の八幡社(三祠)

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■所在地佐賀市久保田町搦東
■年代近世
■登録ID1373

 久富交差点から南へ500㍍、幹線水路東側に明神鳥居と高い台石の上に3体の石祠がある。
 中央の石祠には、梵字(古代インドで発達した文字)によって祭神を刻んである。右側面には「この祠は寛文5年(1665)村田政辰によって奉斎し、当主村田若狭藤原政敏が改刻した」とある。また、座主に「宝地山杉本坊□宥智豊」と刻まれている。
 左の石祠も、祭神は梵字で刻まれ、右側面に「寛延元年(1748)天」、左側面に「一一月吉祥日」と刻まれている。
 右の石祠には「澳嶌大明神」と刻まれ、その石祠の右面に「元文五年(1740)庚申季三月十七日勧□元」とある。
 更に、明神鳥居の右石柱には「其鄙千戴無広」と刻まれ、左石柱には、 印周存、立野昇起、古賀兵部左衛門元敬、外寄進者多数の名前が刻まれている。
 これら石祠の刻字を見れば、この時代八幡社は、仏教的な影響が大きかったと思われる。
 もともと、八幡社は大分県の宇佐八幡宮の分霊が、京都の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮に祀られ、全国各地の八幡信仰として伝わったと言われている。寛文年間に松土井内の開拓が完成し、邑主村田政辰によって奉斎された、この搦東の八幡社は、久保田の歴史を物語る貴重な史跡である。

出典:久保田町史 p.492〜493