中副の龍宮社(ひやーらんさん)

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中副の龍宮社(ひやーらんさん)

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■所在地佐賀市久保田町中副
■登録ID1368

 久保田町徳万の交差点から南へ1.5km、中副下りバス停から東へ20m、中塚被服kkの西側に石造の龍宮社(ひゃーらんさん)がある石祠の右の扉には、小路、福島、中新江、下新江、村中三興と、左には「享保十六年辛亥(1731)三月如意再建」と刻まれている。このことから、それ以前に創建されたものと推察される。
境内の左にある水盤には、「施主当村中、安政三年(1856)丙辰六月吉日、石工平七」と刻まれている。左右の常夜燈には「安政五年(1858)戊午霜月吉祥」と刻まれている。
 常夜燈の上には小さな狛犬が乗っている。龍宮さんのお水入れには「奉献古賀喜平次」と刻まれたのがあるが年代は不明である。往時、嘉瀬川は嘉瀬橋から草木田、中副の龍宮社前、土井の古賀の東側を八の坪、大立野へと流れていた。その土井(居)は道路でもあり、嘉瀬橋から大立野に通ずる重要な幹線道路であった。(圃場整備の際、この土井はなくなった。)
 この龍宮社は水神様で、旧暦の3月中は水難をのがれるために近隣各地からの参詣者で賑わった。特に奇数日はご利益あらたかと言い伝えられていた。
 その時期になると、中副では、集落総出で藁ぶきの小屋を建て、お守札を頒布したり、駄菓子、ラムネ、トコロ天などの店を出した。掛小屋の舞台で、芝居やにわかなど上演されたこともある。
 また境内一ぱいに筵を敷き、持ち寄ったご馳走をひろげ、酒を汲みかわしながら歌や踊りに興じた集落団欒の行事でもあった。
 ひゃーらんさんは水難よけの神様として、また集落の氏神様として、250余年前から今日まで静かに鎮座されている。

出典:久保田町史 p.487〜488

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