馬頭観世音

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馬頭観世音

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■所在地佐賀市三瀬村
■年代近世
■登録ID1272

文政6年(1823)6月11日、施主、久保山住人副島吉左ヱ門三瀬峠の俗に「聾なおし地蔵」のそばにたてられている、唯一の馬頭観音。
 向合観音さんで知られる向合峠には、佐賀にむかって右上に、施主、下杠山住人・横尾七左ヱ門になる観世音(年月不詳)が向い側の板碑にむき合っている。何の板碑かわからない。
 その他薊の佐古、原宅上の観音堂、釜頭の観音、広瀬大明神境内にある観音など年時不詳で知る由もないが、神在、川向いの子安観音堂は卒塔姿の堰に人柱となった旅僧の鎮魂観世音ではないかと思われてならない。
 中鶴・不動上の夫婦橋手前左上の田んぼのそばに地蔵尊が坐っている、川に溺死した子供への手向けのものと聞かされた。
 杠の寺の下大日橋には、寛政3年(1791)2月吉目、本願野口十兵衛・西村卯兵衛銘の大日如来の石塔、最も新しい地蔵尊、元村長庄島喜六が3男令息佐三の水死を期に、ダムに続く水死事故のなくなることを願って立てた「佐三地蔵」、それ以来溺死はピタりと止まった、民間信仰のきずなもこんなところにある。ゴルフ場建設の折、小学校向山にあった観世音菩薩、寛延2(1749)4月吉祥日、願主詰瀬中とあったもの、今原伝照寺に預けられたままとなっている。
 唐川公民館向いにある六地蔵は、ダムの湖水に沈みつつあったもの、享保8年癸卯(1723)10月天吉日、施主沙門伝益の銘あるもの、藤井尚弘氏によって引き揚げられ現在地に安置されたもの、1つの文化財が消えるところであった。
 以上のように村内における神社・寺院・雑仏の順に宗教の実状をみてきたのであるが、『神埼郡郷土誌』にある次の文をもって結びとする。
 「要するに本村に於ては神に対しての崇拝稍薄きも、仏教に対する信心厚く、神棚を祭らざる家はあるも仏檀を安置せざる家はなし、少女の数珠を手にして仏参するが如き珍しからず」と記している。

出典:三瀬村史p748