威徳寺

威徳寺

■所在地佐賀市東与賀町実久
■登録ID1219

大応山威徳寺の由来に関して佐賀市本庄町鹿子御厨一八は次のように語った。
東与賀町実久の龍水院の東南部に墓地が残っている。これは高伝寺(佐賀市本庄町高柳鍋島家の菩提寺)の末寺である。佐賀県立図書館の記録をみても、開山以来の住職・年数廃寺等の時期は不明とあり、佐賀県下245佐賀郡下30ある曹洞禅寺の一つである。
実久は鎌倉時代の海岸線で、正保図絵に初めて名が出ているが、万延元年の改めの郷村帳にも出ている。威徳寺の墓地はほとんど鹿子下の御厨一族(鹿子上に分家3戸)の墓である。桓武平氏の御厨は、伊勢の松坂(御厨神社という県社格の氏神)で、皇太神宮の司厨部を司った荘園御料地よりの収穫物供物の収受配分を司った。その一族は長崎県北松浦郡御厨村(現松浦市)に松浦四十八党の一つとして地方に重きをなした。その一族御厨は与賀郷実久に威徳寺を菩提寺としたとある。
高伝寺の末寺となったのは、いつの頃か不明だが、龍造寺の時代と推定される。威徳寺は龍水院に合併したが、この威徳寺の名を知る人は少ないようである。

出典:東与賀町史p1132

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