南川 清一
南川 清一
■所在地佐賀市東与賀町
■年代近代
■登録ID1193
剣道一筋に90歳の生涯を捧げた七段の南川清一は、明治25年10月5日佐賀市呉服町に誕生した。彼の性格は清廉潔白で古武士風な風貌とともに庶民的な淡白さを具備していた。剣道師範として陸軍戸山学校・東京女子高等師範学校や旧制佐高・龍谷中学の教官を勤務した。その間久留米師団剣道大会で優勝したり、退役後も第3回明治神宮体育大会(現在の国民体育大会)の在郷軍人の部で個人優勝の栄冠を獲得した。往時本県の剣道界では大麻勇次・江藤冬雄と共に三羽烏として肩を並べて活躍し、佐賀県剣道の黄金時代を築き上げたのである。
彼は大正15年12月佐賀市より当村の下古賀に転住してから、自宅に「南川道場」を開設し、小中学校の生徒や青年達の希望者に剣道を教え続けた。彼の剣道指導は極めて懇切でしかも厳格であったが、一歩道場を出ると温情に富みまた世間話の中にも常に「剣」に結びつけて心豊かな人間育成に終始した。
かくてこの間実にに60年にわたり、後進の指導と郷土青少年の健全育成に努力した。その功績を称えて昭和40年1月、東与賀村体育協会は彼に鄭重な感謝状を贈ったのである。
こうして精神的にも技術的にも鍛え上げられた練習生徒の中から、木下貞夫(佐賀県剣道々場連盟の初代理事長)を始め幾多の精鋭剣士が誕生して、現在本県剣道界に活躍している。この永年にわたる功績に対して昭和39年には輝く文部大臣表彰を受領した。
しかも家族の団欒(だんらん)も剣道に求めて、長男その妻及び孫3人等全員が揃って剣に親しみ剣を楽しむ家風を醸成した。正に剣道一家であり典型的な健康家族を育成したのである。
出典:東与賀町史p1254