大授の農業
大授の農業
■所在地佐賀市東与賀町大授
■年代近代
■登録ID1167
干拓が完成して大授搦ができたが、真直ぐに水稲を栽培することはできなかった。2、3年から4、5年間は綿(わた)作りから始めた。この綿花は毎年八十八夜前後に種子を蒔き、夏休みの頃は早くも収穫するのである。手ぼに綿を一ぱい盛って帰り、家の中では、寝床にも座敷にも広げて乾燥したことが思い出される。
その綿花作りの後2年から3年間は、西瓜作りであった。その頃第二区に掛け小屋を作り精一ぱい努力した。幸いにも干拓は塩分が多いので西瓜は味がよく調和して、甘味の強い西瓜ができた。この甘い西瓜が好評を博して、佐賀市をはじめ船津方面の丸山問屋には売行きは上位であった。ただ当時は現在のように自動車はなく、ほとんどがリヤカーや車力で運搬したものである。それでも後には佐賀市辺りからの商人たちは好評の干拓西瓜を大量に買占めに来るという盛況であった。
出典:東与賀町史P1228