大野の宮角力

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大野の宮角力

■所在地佐賀市東与賀町大野
■登録ID1164

繁華街の映画館や娯楽設備に恵まれない農村の田舎では、古来自らの慰安を求め娯楽を楽しむために、腕自慢や力競べ等の運動競技が盛んであった。本町でもその例にもれず、特にこの大野村では若い青年層を中心に中老や少年を交えて格闘技の一種である角力熱が旺盛であった。始めは各周路毎に野っ原での草角力から出発し、漸次お宮の境内に片やを作り、後には村中央の青年会(現在の公民館)西側空地に立派な土俵を築き、祭日や余暇を利用して技と力を練ったのである。この大野における青年層の角力熱は、近くの搦・今町・作出等の青年たちを刺激し、ついには東与賀全村落に角力愛好の風潮が広がった。かくて大正10年代から昭和に入っても戦前・戦後まで、佐賀郡内でも一番優秀な角力選手が揃い、各地区各神社等の大会に出場して、雄を競い覇を争ったものである。
当時その主将格となり先導役をつとめた山田寛(股名源氏山)は、その頃を想起して次のように述べた。
「大野には角力好みの先輩が多く、その指導と奨励が一番良かった。角力にはこの〝しごかれる〟ことと〝練習〟とが最も肝要である。その頃東与賀村の招魂祭が毎年11月15日に学校の校庭に土俵が築かれ挙行されたが、どこの村落よりも5名ずつの選手が出場して、勇壮な角力大会であった。これには村としても力を注ぎ奨励のために補助金も出してくれた。後には先輩や学校の先生に引率されて、佐賀郡内は勿論県内各地の角力大会に出場した。その頃になると東与賀全村から優秀選手を選抜して、佐賀郡青年団の角力大会・佐賀県護国神社の祭典角力その他中野代議士参議院議員当選祝賀大会にも出場してよく優勝旗をものにしたのである。特に大正5年11月3日の明治神宮全国角力大会には、年齢僅かに25歳であったが佐賀県の代表選手として、小城郡牛津町関川堅次君等と出場し4勝1敗の好成績を修めたことは、私の生涯中でも最大の歓びであった」と語る。
更に角力競技は、体と体・精神と精神を互いにぶっつけ合って勝負を決する格闘技であるために、一度先輩と後輩そして師匠と弟子との関係が結ばれると、その仁義と情愛は実に堅固なものである。往時を思えばわが村の先輩鬼崎末吉・鶴田祐作後輩の吉田吉郎・山崎次郎等があり、他町村では小城郡の時森や川副町の大塚・梅野等、裸人生の親友であり土俵上の仲間であって、うたた感慨無量ですと、このようにしみじみと語る往時の猛者「源氏山」の両眼にはキラリと光る涙が浮かんでいた。

出典:東与賀町史P1224