辻城(つうしろ)の由来

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辻城(つうしろ)の由来

■所在地佐賀市東与賀町中飯盛
■登録ID1159

中飯盛の南部の端に「辻城」と呼ばれる地所がある。いつの頃かは不明だが「辻栄助」の一族が住んでいた。この栄助じいさんは正直者の上に仲々の働き手で、毎晩毎晩この村落45戸の周りを火の用心の拍子木をかちかちと鳴らし回ったのである。その謝礼として毎月の1日に各戸から白米を少しずつ集めて贈ったらしい。もともと栄助じいさんの家業は、竹皮草履や下駄の鼻緒作りであったが、よく売れて古老の古川茂士等幼少の頃は買いに行かされたと述懐する。その栄助じいさんの子に「吉次」という少年がいたが、大変な秀才で当時この村の「学友会」の世話をしたりみんなの面倒を見てくれて今でも忘れられないという。ところが何時とはなく栄助さん一家は佐賀市に転住され、相当に活躍しているとのことである。つまり「辻」という地主の家跡で、その屋敷の東北の隅に塔の形の墓石が残っている。この屋敷を中心に耕作田地を「辻城」と呼ばれているが、今日ではA氏の住宅が建っている。

出典:東与賀町史P1209