住吉

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■所在地佐賀市東与賀町住吉
■登録ID1157

住吉は東与賀町の中央より少し南部に位置して、北は町道を隔てて中村と境し、西側は大きい縦堀を境に大野に面している。現在では緑野の美田に包まれた農村であるが、住吉神社の由緒にもあるように、この地域一帯は昔の有明海岸であって、水が澄んでいるところに青い葉っぱの芦が繁茂していた。このことから今日の「住吉」の地名が生まれたそうである。神社の直ぐ北側を東西に走る道路は「裏(うら)ん土井」と呼ばれ、昔の土堤の一部だった石垣も残っており、その由来も証明されるのである。
昔は純農村でほとんどが農家ばかりであったが、漸次に漁業も増し商業その他の職種も増加して町内でも屈指の村落に栄えていった。
この村落の特徴も産土神としての住吉神社を中心に、住民が和衷協同して、産業振興や文教厚生に努力したことである。即ち文教方面では明治初年には寺子屋の私塾があり、わが国の教育令発令前すでに、学校らしい教育の場が展開されていたのである。通称を「やっすん学校」と呼んだが、現在の石丸氏の自宅がその跡であった。産業面では何としても農業が主体で、1戸当たり耕作面積平均して180アールを越えており、本町内でも中村に次いで多い方である。それだけに農業技法に関しても研究熱心で、昔から螟卵採集・深耕(馬使い)・機械灌漑・麦踏み・株切り等、個人でも共同作業も極めて熱心であった。

出典:東与賀町史P1204