今町

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■所在地佐賀市東与賀町今町
■登録ID1119

今町は東与賀町の東部を流れる八田江に沿って栄えた町で、東は川を隔てて川副町広江と相対し、北は船津に南は梅田に隣接している。東与賀町内で町の名があるのはこの今町と上町であるが、昭和10年頃の職業別を見ると、漁業が圧倒的に多かった。これが現在の職業別と相対して如何に変化したか、約50年間に戸数も随分増加しておりその推移進展の姿が明瞭である。
この今町には村落としての成立や地形それに各家の職業の上から、お宮が三つ祀られてある。平常は西の宮・中の宮・北の宮と呼ばれ、西の宮には天照皇太神宮・北の宮には沖仲大明神を祀り、中の宮は三界万霊を祀ってある。
今町の大きい特徴は漁民の漁業による大きい進展ぶりである。漁業の長老たる元町会議員の吉田吉郎氏は、その模様を次のように語った。
私は若い頃から小さい「あんこ船」に乗って有明海だけに止まらず、遠く朝鮮近海まで遠出をやった。初めは帆船の4・5隻であったが、だんだん船数も増し、船も改造されてエンジンによる機械船となった。捕る魚類は、グチが専門であったが、外にクチゾコ等も盛んに漁獲した。獲物がふえるとだんだん距離も遠く、鴨緑江付近や仁川あたりまで、袋網を持って航行した。出漁する時期は毎年2月上旬より5・6月にかけてが多く、梅雨の前は豪雨を警戒して帰還していた。大漁の折は大漁の旗を海風になびかせて意気揚々凱旋将軍気取りで帰ったが、途中では島原にも遊んで、若さを発散したことも今は昔語りとなってしまったのである。
この今町では昔から漁業青年の角力が盛んであった。漁民はいつも太陽のもとに潮風にさらされ、漁猟の重労働で筋肉も強じん、その上に暇を見ては技量を練るので力は強いはずである。昔より西方の雄大野村と共に東方の雄として互いに横綱格を競ったものである。往時、これらの逞しい漁業青年たちが、出場した東与賀町内での角力大会の盛況や、佐賀郡や県の角力大会更に佐賀市における佐嘉神社や護国神社祭典で活躍し優勝した勇姿は、なお町民の眼にも残っていて実に感慨も無量である。

出典:東与賀町史P1173