お蔵
お蔵
■所在地佐賀市東与賀町
■年代中世
■登録ID1111
「お蔵」は穀倉のことで、昔上納米を貯蔵したりここから船で運んだ所であるが、船津の「お蔵」は龍造寺隆信公の頃、鷹や鴨狩りの跡とも言われている。現在の古川氏宅の西側がその地所であるらしい。即ち米・麦をはじめ肥料や粉炭等を積んだ船舶や木材をいかだにして、この「お蔵」近くまで運んで来ていた。そのためにこの船津は昔より家業の職種が非常に多かった。まず、人が集まると酒類であるが、酒屋は故大石平次(酒倉が4棟並ぶ)、炭問屋は芦原、旅館(昔の木賃宿)の力武、その他銭湯・紺屋や精米業の秀島・医院の久納等、往時より各種各様の職業が賑やかに活気づいていた。言わば東与賀村では一番の開拓村であり進歩的文化村であった。即ち精米業も東与賀では最も早く発動機利用の先端を行き、各家庭の電燈も福岡県大川市より川副町犬井道へ、それが漸次西部方面に波及して、広江そしてこの船津へと点燈されたのである。電気の世の中となって最初に恩恵を受けたのが船津であり、一番遅く灯ったのは大野村であるが、それは大正5年の頃であった。まさにこの船津は、天恵の八田江によって生まれ発展した郷土東与賀の発祥の地ともいうべきであろう。
出典:東与賀町史P1166