水神・海神
水神・海神
■所在地佐賀市東与賀町
■登録ID1090
水は稲作民にとって命ともいえるので古くより水神信仰が発達していた。
水神の本体としては蛇が崇敬されていたが、中国の龍神信仰の影響をうけて蛇が長じて龍となり昇天したと考えられ蛇と龍は同一視されるようになった。
蛇を使わしめとする弁財天は、七福神の一員としてよく知られているが、もともとインドの一地方の河神であったものが仏教に取り入れられ、水をつかさどるところから農業神として崇敬されるようになった。
龍神は「八大龍王」として祀られており、旱天に汐水を竹筒に汲んで石祠にかけて雨を祈願したという伝承がある。
龍神は水神としての信仰のほかに海神として信仰する風も厚く漁民は航海の安全と豊漁を祈って祀った。海に近い立野・作出・搦などに、八大龍王を祭神とした龍王社がある。
実久公民館前に文化5年(1808)銘の琵琶を抱く2臂の弁財天像があり、搦に「弁財天 八大龍王」と二神の名を刻んだ享保元年(1716)建立の石祠がある。
上町若宮社境内の元治元年(1864)建立の「天山大権現社」の石祠も弁財天信仰によるものと思われる。
航海と漁業の守護神として信仰されている神は八大龍王のほかに住吉三神、金毘羅、沖仲大明神などがある。住吉三神とは底筒之男命(そこつつのおのみこと)・中筒之男命・上(うわ)筒之男命で住吉神社として祀られている。
金毘羅は讃岐の金毘羅さんと呼ばれて全国的に信仰されている。町内には実久の円通寺境内の金毘羅社と搦東の通称搦の山、下飯盛の地蔵院境内に金毘羅社の石祠がある。搦の山は有明海を航行する漁船が目標にしていたともいわれ、また、高潮時の避難場所ともいわれていた。地蔵院の金毘羅社は由来はわからぬが火の神として信仰されている。
今町や船津の沖大明神・沖仲大明神は、有明海の沖の島の御髪信仰に基づくものと思われ、今町では明治の初めに漁師のこぐいという網にかかったという伝承がある。
出典:東与賀町史P1057