興文塾

興文塾

■所在地佐賀市東与賀町下飯盛
■登録ID1047

現在下飯盛公民館の北側にある江原氏宅付近で、その跡は全くない。古老の話によると、当時としては珍しい瓦ぶきの寺子屋で、塾長は富吉源太夫であった。既に故人の福岡長三郎先生や嘉村達次郎(陸軍少将)等の少年時代は、この塾で懸命に勉学したそうである。わが国の学制発布前の私塾で、東与賀村内ではこの外にも住吉や中飯盛・上町・今町・船津等の寺院にも開設されて、思い思いに少年達の勉学指導がなされていた。
それが明治21年9月1日わが国の教育令が発布されて、東与賀にも小学校が創立された。この時前述の私塾を総合して、一番人員や規模が大きかった「興文」の冠詞をとって、「東与賀興文小学校」という名称で開校に踏み切ったのである。この際の学校位置は、前述の私塾(住吉・飯盛・上町)等のほぼ中央ということで、現在の中学校敷地付近に平屋校舎が新築された。
その後児童数の増加により、現在の小学校位置に新校舎が完成し、この興文校の一部は、運動場東部に移転された。その校舎も「興文館」の名称で保存され、特に昭和15年には大修築され小庭も出来て、会議室・宿直室・使丁室として活用され昔の面影が残されていた。

出典:東与賀町史P829