やっすん学校
やっすん学校
■所在地佐賀市東与賀町住吉
■登録ID1046
当時やっすん学校の在った場所は、住吉・石丸卯助の宅地がその跡である。「やっすん」という名称は、現在の山田政太郎の父親の名前であるらしく、指導者はこの住吉に居住した故野田甚三郎先生(後に興文小学校長)であった。ここに学んだ子弟達は少人数であったが、勉強に励み全員が興文小学校開校と共に入学したらしい。
石丸卯助の妻清千代は、やっすん学校の外観につき次のように説明した。
この石丸家は代々が士族で庄屋を勤めた。屋敷の面積も300坪、広い庭園には梅の古木が2・30本(毎年梅実を2斗5升をちぎった)や高い棕櫚の樹が数本、その他夏みかんやねずみもち等の雑木が繁茂していた。その中に東西8間半・南北8間の約60坪余りの麦藁ぶき平屋建がこの塾の姿であった。この家屋も長い歳月を経て古くなり雨漏りもひどかったために、昭和47年7月全部を解体し新築して、今日に至ったという。
出典:東与賀町史P830