伊勢講

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■所在地佐賀市東与賀町
■年代近世
■登録ID1033

氏神社の境内や路傍に、「天照皇太神宮」「太神宮」の神号を彫った石碑が各所で見られる。これは伊勢信仰にもとづき造立されたもので近世における隆盛さをしのばせるものである。
伊勢信仰が庶民の間に普及したのは近世初頭と言われ「一生に一度は伊勢参りをしたい」という熱望を生みだした。
個人での参宮は費用の負担が大きいので、伊勢講を組織し講金を積立て、これを路銀に交替で参宮するという代参講という形で発達してきた。
下飯盛の太神宮碑は「寛永十五戊寅十始 寛文九己酉六月成就」の銘がある。これは寛永15年(1638)より寛文9年(1669)までの31年間で講員全員が参宮をすませた記念に造立したものである。作出西入口の太神宮碑も寛保3年(1743)から天保4年(1833)の90年の長期間をかけて成就したものと思われる。
近年における伊勢講中の寄進によるものに下飯盛八幡宮の狛犬(明治29年)と作出龍王神社の手洗石がある。
講は毎月あるいは正月・5月・9月の11日に行われるところが多い。作出では2月11日に佐賀市伊勢町の伊勢神社に参拝した。
農業神としての信仰も厚く今町西、搦東では氏神社として崇拝され、田の神さんと呼ばれている。

出典:東与賀町史P1047