検索結果 RESULT
[指定文化財][佐賀市][蓮池校区]は2件登録されています。
指定文化財 佐賀市 蓮池校区
-
木造河童像 一躯
重要有形民俗文化財
宗眼寺は、支藩蓮池鍋島家の菩提寺で、初代藩主鍋島直澄の霊屋がある。 河童像は霊屋の向拝の虹梁(こうりょう)の上におかれ、棟木を支えており、蟇股(かえるまた)又は束の機能を果している。河童像は、両足を立てて尻をおろした坐像で、像高23センチメートル余り、寄木造の彩色像である。眉毛は太く、眼は彫眼で大きく開き、正面を見すえている。毛髪は両側のみに巻毛を刻み、鼻は太く、口は閉じ2本牙を出し、首を前にのばして顔面を突き出し、背中を丸めている。両肘を屈し、高く上げて力み、両手はそれぞれ膝頭におき、手足には比較的大きな爪を刻み、褌(ふんどし)をしめている。体部は黒色、眼は金色で口、鼻、耳の内側及び褌には赤色が施されている。右足の指が欠失しているのみで保存は良好である。 彫像の年代は明らかでないが、江戸時代の作であると考えられる。また、霊屋にこの像が置かれた理由も不明である。小躯ではあるが河童の性格をよく表現した像で、江戸時代における特色ある彫像の一つとしても価値がある。この種の河童像が市内に数躯伝存しているが佐賀地方の風土が育んだ河童伝説に基づく遺物の代表的なものの一つとして、民俗学的な価値も高い。
-
小松の浮立
重要無形民俗文化財
天衝舞浮立は、佐賀市を中心に伝承されている芸能で、天衝舞、天月舞、天竺舞あるいは玄蕃一流浮立又は浮立大神楽などと呼ばれており、小松浮立も天衝舞浮立のひとつである。 この芸能の起源伝承は各地異なって一定しておらず、小松浮立は平氏の落人伝説にその起源をおいている。 平清盛が福原に新都を築いたとき、何度島を築いても波のため流されたので、平家の公達1人が人柱に立ち、同時に浮立を演じて完成を祈願し無事に完成することができた。島の名に因んで、この浮立を築島浮立という。平家滅亡後、この地に落ちのびて来た平家の残党が、小松殿平重盛を追慕して、集落名も「小松」とし、この浮立を小松神社に奉納したのが始まりという。 小松浮立が他の天衝舞浮立と異なっている点は、笛が用いられないこと、ゼイが用いられることである。笛を用いない点については、平敦盛の「青葉の笛」の故事に基づき、これを忌むと伝えている。