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[指定文化財][佐賀県][高木瀬校区]は2件登録されています。
指定文化財 佐賀県 高木瀬校区
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正法寺文書 三十二通
重要文化財
正法寺(しょうぼうじ)文書は、佐賀平野の中央部、現佐賀市北部の臨済宗東福寺派正法寺に伝来したもので、総数32通、時代は鎌倉時代から室町時代にわたるものである。 最も年代の古い正和(しょうわ)3年(1314)の鎮西御教書(ちんぜいみきょうしょ)は、鎮西探題北条政顕(まさあき)が寺領内に武士が乱入して乱暴なふるまいを働くことを禁じたもので、当寺を保護するための命令書である。 以後、南北朝時代・室町時代にわたり、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)・足利尊氏(あしかがたかうじ)・一色道猷(いっしきどうゆう)・征西将軍宮懐良親王(かねながしんのう)など、著名な人物が当寺に文書を与えて、祈祷を依頼し、また保護を加えている。 当寺は、もともと肥前の有力な御家人(ごけにん)高木氏歴代の菩提寺で、このため、高木氏の成長とともに寺の勢を拡大維持し、他寺に抜きん出たものと考えられる。 一か寺として、鎌倉時代から室町時代にわたる著名な差出人の文書がまとまっており、肥前の有力御家人の菩醍寺(ぼだいじ)がどのような勢力と結びついていったかが、一貫してうかがえる貴重な文書である。現在は巻子本(かんすぼん)2巻に仕立てられている。
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正法寺所蔵大般若経 一括
重要文化財
正法寺は、佐賀平野のほぼ中央に所在する臨済宗東福寺派の古刹(こさつ)で、佐賀地方の代表的な武士の一家であった高木氏の菩提寺として鎌倉時代から室町、戦国時代にかけて有力な寺院であった。 この写経は、もと縦26.8センチメートル、横13.0センチメートルの折帖装(おりちょうそう)であったが、風水害によって重なっていた紙と紙とが密着してしまい、紙塊(しかい)となったものが多い。書き写された時代は平安末期~鎌倉初期と推定されるものから江戸時代の補写のものまでに至っている。使われている料紙(りょうし)(文書を書くのに用いる用紙のこと)は楮(こうぞ)と雁皮(がんぴ)のまぜすきを黄蘗(おうばく)で染めたものと思われる。 中は罫高(けいだか)20.3センチメートル、罫間(けいかん)1.9センチメートルの罫線に1面7行、1行17字を典型的な写経風の整った書体で書いている。 巻末の奥書きには「大般若波羅密多経巻第二百五十一 明徳五年甲戌三月一日 天叟書」や「東大寺以正蔵院本一校了」など、書写の年代の記されているものや、東大寺記録によれば建長5年(1253)ごろまで存在したという東大寺子院の正蔵寺の本によって校正されたものなど興味深い貴重なものがある。