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[東与賀町][ 樹木・花]は2件登録されています。
東与賀町 樹木・花
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名木「やんぼし松」
大野村の本土井ができたのは、1580年頃といわれるが、現在のライスセンター西側に、名木「やんぼし松」がただ1本横に長く繁茂していた。その昔「山伏し」がこの大野の海岸土堤に流れ着いた記念として植樹したことから、この「やんぼし松」の愛称が生まれたのである。この黒松は樹齢も相当に古く、根元の幹の太さは大人2、3人が両手を広げて回しても回しきれないほどの大樹であった。 樹幹の高さは5〜6間であったが、幹と枝が土堤に沿って横に長く広がり、ここを通行する人たちは馬を引いたり、藁を積んだ車力を挽いて長く伸びた幹下をくぐって通るという、極めて風流で洒落た老松の姿勢であった。したがってこの松は村民の老若男女の人気を呼び、農耕作業の際のいこいの場となったり、時には村内外よりの見物客もあった。ある時の県知事は風雅にも馬に跨がり乗って毎月1回は必ずこの「やんぼし松」を訪問し讃美したという逸話も残っている。 しかしこの老松も時代の波には勝てず、先の東与賀全域にわたる圃場整備事業実施前の昭和39年末には遂に伐採され撒去される運命となった。緑保存の自然環境からいっても、名木保護の立場から考えても、誠に残念でならない。今は往時の人々から親愛され重宝がられたこの名木も、坂田三郎(大野出身)の立派な名画(油絵)となって、大野公民館に掲げられ、見る者をして懐旧の情を禁じ得ない。 この「やんぼし松」と相対して、東へ300mの地点に「左近殿切り」と呼ばれる霊場がある。これも年代や人物等全く不明であるが、「左近」という武士が何かの罪に問われて、この地で処刑された跡であろうとの伝承がある。この付近は以前から高さ10mの堤防で、その下を一の谷といってここに竜王さんを祀った石碑も在ったが、現在では全く見当たらない。これも時代の風化現象であり、そして物質文化への移行発展とも考えられよう。
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シチメンソウ
シチメンソウは、有明海の東与賀海岸に生殖するアカザカの一年生の塩生植物で、高さは30cm〜40cm程度で、満潮時には冠水し干潮時には潟地となるような限られた場所でしか生育しません。 花は9月頃から葉腋に数個集まってきますが、やがて花が終わり、11月初旬には全株が紅葉し、自然の宝庫が海の紅葉として美しい景観をかもしだします。 この時期に「シチメンソウまつり」や「干潟ロードレース大会」を開催し、町民の憩いの時間として楽しんでいます。 また、町内外からも多数の観光客が訪れ、海の紅葉を満喫しています。