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[遺跡・跡地][跡地][本庄校区]は3件登録されています。
遺跡・跡地 跡地 本庄校区
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焔硝蔵(御薬蔵)
鹿の子上区西北の方角に、佐賀藩の焔硝蔵があった。明治7年(1874)までは袋区と共に本庄に2か所あった。当時は巨額の火薬が貯蔵されていたが明治7年の佐賀戦争後一般士民所有の銃砲刀剣類と共に、没収され、跡は寺子屋流の学校となったが、明治21年(1888)7月旧火薬庫を取崩し、両所の建材にて、灰塚に星共小学校を建てる。のちの本荘尋常小学校講堂がそれである。 また石倉の扉は村社鹿の子天満宮の石垣となり、火薬製造用の薬研は手洗鉢として、使用されるところもある。
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鷹取城の跡
鹿子下区の西に堀に囲まれた一角がある。昔は薮が繁茂していたそうで、今でも一部が残っている。ここが鷹取(高取)城の跡である。 天文22年(1523)龍造寺隆信の佐賀城奪還の際、神代勝利、高木鑑房、八戸宗暘の家臣が海岸警備のため駐屯していた要塞を急襲し、潰走させた古戦場の跡である。 面積4.5ヘクタールに黄金の稲穂が波うって今は昔日の面影もなし。
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鍋島藩の猟場鴨良
鷹取城跡の堀南に鍋島藩の猟場があった。その地を鴨良(カモラ)と呼んでいる。 その昔慶誾寺の本堂の屋根に登り南を眺むれば、天草の山を洋上に浮かべた有明の海が、眼下に迫っていたという。 当時の「タカトリ」付近は南へ葦が茂り小津江の流れが海に流れる狩場であった。佐賀城からよく殿さんが猟に来たそうで、農作業中の百姓が驚き平伏せんとすると「そのまま作業を続けるように」と言って猟をされたという話が残っている。