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[遺跡・跡地][跡地][兵庫校区]は2件登録されています。
遺跡・跡地 跡地 兵庫校区
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役所跡
堀立稗蒔の井手宅を、土地の人は役所と呼ぶ。藩政時代罪過を犯した者を検察し小事件はここで処理したという。現在の警察派出所の職権をやや強化していたもののようだ。
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鍛冶屋敷
野中草原の南端に鍛冶屋敷という1軒の藁葺の家があった。ここに250年前、藤原巨勢弾正一刀太と称する刀鍛冶がいた。 一刀太は越前の国の者であったが、ある事情でこの地に下り隠とんの生活を送っていたらしい。付近にその墓がある。 肥前日々新聞の主筆が調べた刀工の記録に、肥前国巨勢字草原の郷に肥前草原市太源という名工が住し、刀工として寛永の頃栄え、弟子を養い、神埼、島原、平戸、諫早など各地に一派をなして市太源の流派を残したとあるが、その流れを汲む者に、次の者がいる。 家栄:島原、長崎に住し、名工の名を残し享保に至った。 家永:寛文の頃、佐賀城下町に住した。 家正、家重、家弘:寛永の頃、平戸、神埼に。 盛秀、守秀、守安:寛永の頃、肥前草原に。 『西肥遺芳』にも、これらのことが書かれている。戦前の記録に、神野町在住の小渕喜市氏は肥前の国草原住市太源守安の銘のある太刀を所有されているとあるが現在は不明である。 現在真崎宅が鍛冶屋敷跡というが、付近の田畑から鉄屑など種々発見されるという。