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[建造物][地蔵・銅像・石塔][久保田町]は28件登録されています。
建造物 地蔵・銅像・石塔 久保田町
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搦東の八幡社(三祠)
久富交差点から南へ500㍍、幹線水路東側に明神鳥居と高い台石の上に3体の石祠がある。 中央の石祠には、梵字(古代インドで発達した文字)によって祭神を刻んである。右側面には「この祠は寛文5年(1665)村田政辰によって奉斎し、当主村田若狭藤原政敏が改刻した」とある。また、座主に「宝地山杉本坊□宥智豊」と刻まれている。 左の石祠も、祭神は梵字で刻まれ、右側面に「寛延元年(1748)天」、左側面に「一一月吉祥日」と刻まれている。 右の石祠には「澳嶌大明神」と刻まれ、その石祠の右面に「元文五年(1740)庚申季三月十七日勧□元」とある。 更に、明神鳥居の右石柱には「其鄙千戴無広」と刻まれ、左石柱には、 印周存、立野昇起、古賀兵部左衛門元敬、外寄進者多数の名前が刻まれている。 これら石祠の刻字を見れば、この時代八幡社は、仏教的な影響が大きかったと思われる。 もともと、八幡社は大分県の宇佐八幡宮の分霊が、京都の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮に祀られ、全国各地の八幡信仰として伝わったと言われている。寛文年間に松土井内の開拓が完成し、邑主村田政辰によって奉斎された、この搦東の八幡社は、久保田の歴史を物語る貴重な史跡である。
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三丁樋の神々
久保田町の南を走る国道444号線に、下新ヶ江集落の三丁樋というところがある。 この付近は、久保田町と芦刈町の境を流れている福所江(境川)の下流で、川の水や潮の流れ、町内の水路の水量を調節する所として、昔から大事な役割を果たしてきたところである。また、有明海の水産物を水揚げする漁港でもあった。 この三丁樋の船着場には、災害から生活を守るために神仏に祈った人々の姿を石造物に見ることができる。 改修された堤防の東側に大神神社のお堂があり、周辺にあった石祠などが、ここに集められている。 前の方に金比羅大権現、八大龍王、皇紀2600年記念大神神社改築寄付者名の塔がある。後ろには大神さんを中心に、左右に大日如来5躰、弁財天2躰、馬頭観音3躰、庚申塔、正一位稲荷大明神2躰が祀られている。 大神さんの石祀は古く、年代は不明である。久富の御髪さん、大立野の沖祗大明神、いずれも漁港付近にある。共通した人々の願いがうかがわれる。 大日如来は、諸仏を統一する中心の本尊として考えられてきたが、一般には疫病を退散させる本尊として祀られている。 左の大日如来の右側面には「寛政十二年(1800)吉日」、左側面には「施主下新江村中」と刻まれている。 弁財天は、七福神の1人で持物の琵琶が物語るように、技芸天としても広く崇拝されてきた。また農業神としての性格も強く、水神として崇敬されてきた。
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下満の山王社
国道207号線、久保田宿の西端から北へ約150m、下満の民家を少々はなれ、王子製紙の工場を間近にした田園の真ん中に、山王社、天満宮、弁財天の三石祠が台石の上に祀ってある。 山王社の石祠は、台石から約1.8m、中に石像がある。石祠の右側面に「文政元戊寅天(1818)十一月吉良日」と刻まれている。前の方、左右に高さ1.5mの小さな灯籠がある。その横には高さ50cmほどの石柱があって「奉寄進、当村酒井平兵衛」と天保八酉年(1837)」が刻まれている。 山王社は、県内では神埼町の仁比山にある仁比山神社が「山王さん」と言って、県内はもちろん福岡、久留米方面から参拝する人が多い。 祭神は大山咋尊、農業の神さまである。山王さんには神令使の「さる」の像が祀ってある。お祭りは毎年4月の初申の日とされている。13年に1回の申の年には「大御田という円舞が13日間にわたって奉納される。田舞の中で種もみが蒔かれるが、その種もみを持ち帰って一緒に蒔けば良い苗が育つ、と言い伝えられている。 古老の話では、下満の山王さんは、以前は現在地より東の方、山王屋敷に祀られていたが、後、現在地に移された。春の祭日には旗を揚げ、浪曲などの余興があり、集落総出でおこもりなどもした。 今、山王さんは、氏子の皆さんの寄進により境内が整地され、石造物も整然と改修され、静かに田園の移り変わりを見守っておられる。
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麦新ヶ江の八幡さん
国道207号線、嘉瀬橋の西端から南の方へ下り、草木田を経て約900m行けば「久保田みどり橋」の近くに出る。そこから南東の方向に田地より小高い台地が見える。ここに石祠があり、付近の人たちは「八幡さん」と呼んでいる。 また、この石祠の北側には正一位稲荷大明神も祀られている。 八幡さんの石祠の左・右の扉の表には、5・7の桐の紋が浮き彫りにされ、裏側には「安永4乙未(1775)12月吉日」と刻まれている。 祭礼は、以前は12月15日に行われていたが、今では12月の第2日曜日に、神前に魚、米、野菜などを供えて神事が行われる。 古老の話によれば、今を去る200年ほど昔、嘉瀬川が現在の流れより更に西、中副の土井の古賀の方へ曲流していた頃、麦新ヶ江は嘉瀬郷15(現、佐賀市)に所属していた。有重の八幡社の分霊を、この現在地に勧請したと伝えられている。 なお、八幡社については、次のとおりである。 八幡社は、わが国の神社の中で最も全国的に広くお祀りされている神社の1つである。本源は、大分県の 宇佐八幡宮である。奈良時代に八幡神は国の大事業であった、奈良東大寺の大仏建立に関係し、平安期には、平安京近くの石清水にお祀りして、国の鎮護の神として尊ばれた。祭神が應神天皇、神功皇后であるために、皇族の末裔である源氏の氏神となってからは、武家政権の確立と共に武神として諸国の武士たちに崇敬され、全国に祀られるようになった。
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十一面観音
観音菩薩のなかで最も馴染み深い十一面観音は、頭上に11の顔を持つ変化観音。その功徳は、諸病をのがれ、財宝をえ、幸福をもたらすとされる。
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馬頭観音
昔、筑前の太守がこの前を通行したとき、馬から落ちて怪我をしたので建立したという伝説がある。
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馬頭観音
三面八臂の忿怒像である。文政8年(1825)に建立されたものである。
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馬頭観音
レリーフ状に馬を3頭彫った珍しい馬頭観音像である。建立は紀元2600年(昭和15年)を記念して建立された新しいものである。
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地蔵菩薩
高さ1m30cm幅80cmほどもある大きな地蔵尊で、子どもたちは夏の川遊びで冷えた体を抱きついて温めたという。
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六地蔵
地蔵が六道を輪廻転生する衆生を救済するということから6つの分身を考えて六地蔵が生まれた。町内にはこの石幢に彫ったものの他に6体並べたものがある。
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三界万霊
この世における生命あるものことごとくの霊を宿らせ、この塔を回向することによって万霊を供養するという。
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大日如来
密教では最高の仏といわれている。手の結び方は智拳印という大日如来独特のものである。町内には数多く祀られている。
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大日如来
台石の「大日 尊」というのは、天照大神の別名で神仏習合で本地仏とされたものである。
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弘法大師
台座の「遍照金剛」は、仏が放つ光明があまねく照らし、その本体が堅固であることをあらわしている。
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弁財天
天女の姿で、琵琶を手にしている。元来は農業神であるが、音楽や知恵の神に転じ、福徳神として七福神の一員となる。
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弁財天
梵字は「ウ」と読み宇賀神の種字といわれている。日本古来の神である宇賀神は弁財天と同神であり、宇賀弁財天といわれている。
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八幡宮
八幡神は最も神仏習合が進んだ神である。梵字の「キリーク」は八幡神の本地仏、阿弥陀如来をあらわしている。武士の信仰が篤く、この祠は村田氏によって尊崇されていた。
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牛頭天王
祇園社(八坂神社)の祭神である。牛頭天王はもと、インドの祇園精舎の守護神といい、また薬師如来の垂迹神とされる。文化14年(1817)に若者中などにより建立されたものである。
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山王社
山王の本社は比叡山山麓の日吉大社で大山咋神(おおやまくいのkみ)を祭神とする山の神である。山王というのは神道の理念としての神であるが、民俗でいう山の神は神道の枠外の民俗の神、民間信仰の神としてとらえられたものである。 民間信仰では山の神は春に里に降りてきて田の神となり、秋に再び山に戻り山の神になるといい、山と里の間を去来すると考えられてきた。山王が平野部では農業神として信仰されているのは、このような民俗的な両面の霊格を持っていると考えられているからであろう。 里の農民にとって、山の資源は貴重なものであった。青草は馬の飼料、田の肥料として利用されていた。さらに山は稲作に欠かせない水の源として、山の神は水を司るみくまりの神という面を持っているものも農業神としての一面である。また、山の神の実態は祖霊であるという説もある。先祖はつねに子孫を見守っており、稲作を基本とする社会にあっては豊饒をもたらすのが先祖の祖霊の役目であった。 県内の山王系の神社では、申年に田舞を伴う祭が行われるところが多い。四月ごろ、田起こしから種蒔き・田植えまでの所作を演じて方策を祈願する予祝(よしゅく)の行事が行われる。 (下満の山王社は)町内における唯一の山王神である。山麓部に祭祀されることが多いのは、山の神としての意識が強く田の神との去来信仰が考えられる。
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澳嶌大明神
有明海特有の神である。沖神、沖祗、御髪などという。佐賀平野、有明海沿岸では干ばつのとき、最後の雨乞い手段として沖の島参りを行う。
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龍宮
通称「ひゃ−らんさん」の石祠には「龍宮」と彫られている。祭祠は不詳であるが水神・海神系であろう。「ひゃーらん」というのは、入り込まないということで、子どもたちの水難よけの神として信仰されている。
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八大龍王
通称松土井の近くにある「南無八大龍王」の石祠。干拓地は水が必須のことから、水を呼ぶという八大龍王が祭祀されている。
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荒神
荒神は火伏せの神であるとともに食物や農耕の神。また家庭の守護神とされ、一家の盛衰をつかさどる家づきの神である。正月には荒神餅が供えられる。
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中央神
土地を守護する神、地神であるが明確な性格はわからない。近年は家の改築などにより神社や堂宇に寄せられたものも多い。
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刻経塔
「南無阿弥陀仏」の名号が刻まれている。経典を書写したのが読誦したのか定かでないが、地区の安全を祈願して有志が造立したものである。
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百万遍念仏塔
百万遍とは「南無阿弥陀仏」を百万回唱える念仏行事である。念仏の回数が多いほど功徳があると信じられ、その達成を記念して造立されたものである。
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納経塔
通称「経塔さん」と呼ばれている。大乗妙典(法華経)を石に1字づつ書写して埋めたものである。銘文から、干拓地の再興を祈願して明和3年(1766)に建立されたものである。
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廻国塔
釈迦入滅後、弥靱菩薩がこの世に現れるまで、大乗妙典と呼ばれる法華経を66部書写し、全国66カ国を巡り、国ごとに代表的な社寺1カ所に1部づつ法華経を納めることを目的とした、廻国の巡礼者が建立したものである。