防所  | さがの歴史・文化お宝帳

防所 

所在地 佐賀市兵庫町
登録ID 587

出典資料から記載

はじめ金立、川久保あたりの山麓に住んでいた人々は、水稲栽培が始まると漸次移動して、野中の傍示原、立野、草原方面に下って来たと思われる。
『肥前風土記』に、佐賀には郷が六つあって、城崎、巨勢、深溝、小津、山田、防所とあるが、吉田博士も防所の地は不明と書いている。前記の巨勢徳太古が新羅の侵攻に備えて、九州防衛のため巨勢郷を開拓して、ここに館を構えたことを考えると、傍示はもと傍所原とよび防所と書いた古書もあるので、防人の根拠地として、防所がこの傍示に在ったのではないかと想像される。三養基郡上峰村にも防所という地名があるがこれは佐賀には関係はない。
天智天皇の大化2年(661)2月、徳太古の先見通り、新羅がわが国に背いたので、同年3月、前将軍・上毛君稚子、中将軍・巨勢神前臣譯語、後将軍・阿倍比邏夫など2万余人を遣わしたが、中将軍・神前臣譯語は巨勢郷の創始者、大臣巨勢徳太古の一門で、この他から出征の途についたようである。このことから野中の傍示が防所であって、防人の所在地であったと推定もできる。
出典:兵庫町史p39

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