八幡神社と天満宮 | さがの歴史・文化お宝帳

八幡神社と天満宮

所在地 佐賀市東与賀町上古賀
登録ID 1142

出典資料から記載

東与賀町の中央を南北に貫いて佐賀市街地へ通ずる県道に沿い、この村の西部に位置して、しょう洒な宮居がある。普通「お八幡さん」の尊称でこの村の守り本尊として鎮座されている。この宮は八幡神社と天満宮の二つの神が合祀されていて本町内では珍しいことである。大鳥居の正面に二神併祀の額束が大きく掲げられている。明治34年に再建されたが、昭和30年5月に改築され、更に同43年7月県道の拡幅工事の際にも改築工事を余儀なくされた。
天満神社の御神体を見ると、佐嘉柳町佛師北村儀平作明治10年3月とある。改築前の社はいつの頃建てられたものか不明。鳥居の右柱には「明治二十五年辰歳九月吉良日・当邑中建之」とあるので、比較的に新しい。ただこの宮の境内は創建以来広々とした社宇と境内を誇っていたが、佐賀市街地へ通ずる県道開通以来相当に狭くなった事は残念である。
狭くなった境内には太神宮・中尊神等一緒に並べて祀られてある。太神宮の右側面に「享保十七年(1732)八月吉日處立之」と刻まれている。その台石には寄進者とみられる横尾千之允・蒲原治兵衛・徳久善蔵・仝儀左衛門等の氏名が列記されている。これらの氏名は現在下古賀や飯盛・新村等に居住する人々の姓を考えて、この上古賀から下の村落へ漸次分家や移住したのではないかと思われるが、このことは正保絵図にも出ていて一つの証拠とも言える。
両宮の中で天満宮の例祭は毎年11月23日(勤労感謝の日)に、八幡神社の例祭は12月15日と決めて挙行している。従前は12月15日と25日(新米ができた頃)であったが、終戦後前記のように改正された。この両日は早朝7時に免田(約1反歩宛)を耕作した番帳の戸主が、お供えの赤飯(約2俵の餅米)を蒸してお宮に運ぶ。これを全村落の老若男女全員が参詣して神酒を戴き赤飯の供饌を食べ、豊年を感謝し家内の安全を祈願する。当日の昼は番帳の家で戸主全員が集合し、規約によるご馳走に加えて芸者も加わって賑やかな祝宴が開かれる。夕刻には小中学生の子ども達にも供饌が渡されたり、夜は青年仲間に公民館で祝饌が供されて、この1日は全住民挙げて祭礼気分と親善融和の佳き日となる。特に祭礼前夜のお当夜には、小中学校の男児等がお宮の参籠にこもり遅くまで住民の参拝を待ち、甘藷(菓子・蜜柑)とお茶を接待する風習が続いている。この頃は寒気が襲って小雪ともなるが、広い神苑に焚火をたいて暖をとると共に神への感謝と豊年を祈るのである。
出典:東与賀町史P1191

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