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[物語・いわれ][地名・とおり名][久保田町]は34件登録されています。
物語・いわれ 地名・とおり名 久保田町
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長崎街道(徳万宿・久保田宿)
長崎街道は、現在の嘉瀬橋の南側を通り、徳万の西交差点から香椎神社の北側に沿って西へ久保田宿、牛津へと通じています。久保田宿は、戦国時代に繁栄した宿場で、東の外れに電光型の死角道があったが、昭和12年の国道改修で姿を消しました。徳万宿は、江戸時代に参勤交代街道の宿場町として知られています。尾張の商人菱屋平七の筑紫紀行に「板橋より渡りてとくま宿に至る。四丁計の町なり。茶屋あり。」と記しており、旅籠屋もあったことが知られています。
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得仏
聖武天皇の御代、天平年間(729〜749)、僧行基がこの地を訪れたとき、不思議な霊験により仏像を得た。行基は寺を建立し、仏像を祀ると村人たちはこぞって礼拝をした。また、度々水害に悩まされていた嘉瀬川の堤防も修理してくれたので、村人たちはこれこそ、生仏の授け給う得であるといって、村の名を得仏と称し、堤防を得仏土井といって永くこれを記念した。
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八筋堀
八筋堀がいつごろ出来たかは定かではありませんが、奈良時代養老年間(720)以降の条里制の遺跡だと推測されています。
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鷹匠路
福島東端から上恒安方面に行く道路を、町民は鷹匠路と呼んでいます。これは、昔村田家に仕えるお鷹匠が、いつも通行していたのでそう呼ばれるようになったと伝えられています。現在は、思斉小中学校の子ども達の通学路として利用されています。