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[物語・いわれ][地名・とおり名][勧興校区]は6件登録されています。
物語・いわれ 地名・とおり名 勧興校区
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唐人町の由来
唐人町の起源は、天保13年(1842)7月、御用荒物屋・川崎勘四郎が佐嘉・鍋島藩に提出した、『御用唐人町荒物唐物屋職御由緒書』にみることができる。 それによると、勘四郎の先祖で高麗人、李宗歓(りそうかん)が、唐人町の始祖である。 李宗歓は、高麗は吉州、竹浦の川崎(現、朝鮮民主主義人民共和国、吉州ではないかと思われるが定かではない)に生まれたと記されており、当地ではかなり知られた武人かつ文人であり、相当の地位を得ていたようだ。 宗歓一族の墓は、唐人1丁目の浄土宗鏡円寺境内に現存する。
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復興通り
昭和8年にこの付近で大火があり、多くの商店や住宅が焼失した。 その後、人々の努力により復興したので「復興通り」と言うようになった。 昭和初期までは、この界隈は「夕日町」と呼ばれていた。
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唐人町(昭和42年頃)
道路両脇にアーケードが完成した。 七夕飾りが大きく風になびき、梅雨の晴れ間の日差しが強かった事を思い出す。
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中央大通り
佐賀市の中央を南北に走る大通り。 土橋より南が開通したのは昭和40年8月で、この時、成章中学校のブラスバンドと勧興小学校の金管バンドもパレードに参加した。
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すずらん通り
「鈴蘭橋」を奥へ入ると「すずらん通り」で、夕方になると、小料理屋さんからの美味しい香りが通り一帯に広がる。
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楠公通り
楠神社から西へのびる通りで、その名も「楠公(なんこう)通り」と言う。 正面突き当たりに、「楠神社」がある。 子供の頃、勧興小学校の南にあるので「南興(なんこう)通り」と思っていた。