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[自然][その他][兵庫校区]は3件登録されています。
自然 その他 兵庫校区
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椋鳥(シガ)とり場
柴野地区の東方、原口宅の前方から墓地にかけての一帯を、椋鳥とり場という。その東にある堀の向こうは犬童地区である。明治の初年頃までは幾十町歩にわたって犬童竹の林であった。犬童丸というかわいい小児を失った父親が悲しみのあまり、1本の小竹(にがま竹)を墓前に植えたのが、年のたつにつれ繁殖して犬童林という広い竹林となった。 ここに幾千とも知れぬシガが群集していたので、同地方の領主であった鍋島山城守(後に河内)が、時おり、うさ晴らしに家来を引きつれてシガ狩りを催された。 その捕獲の方法は、要所要所に待ち構えていた狩人たちが、ころを見計らって、鷹の羽を先端につけた竿をヒュッ、ヒュッと振りまわすと、空のシガの群はその羽音に驚いてすっすっと地面に下ってくるところを網師が上手に引っ掛ける。一網打尽とはこのことだろう。幾千幾百のシガは、哀れにも網の中でかしましい声をあげる。 得意満面の殿は家来と水ヶ江のお茶屋に帰りを急ぎ、その都度、山城守は柴野の光円寺や塘宅で休息された。シガとり場の南方を調練場と言い伝える。山城守が領内の武士を集めて、時折調練を行なっていた所だという。
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テンボ
ネバルの東方の濠の中に、テンボという島状の狭い土地がある。大昔この辺は海で船が通っていた。テンボは当時船の帆柱が残っていた所という。伝説によると渕地方は海中の渕であったそうで、高木瀬方面の瀬は海中の瀬であったという。
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横堤
川の氾濫による浸水被害の拡大を防ぐために設置された緑地帯(堤防)である。江戸時代につくられたと推測され、その長さは神埼市神埼町境から巨勢川まで約1,650mにのぼる。佐賀藩の治水事業で名高く、兵庫町の開墾にも携わった成富兵庫茂安の事績であるとも考えられている。 このような緑地帯は、昭和の初めまでは調理や風呂の燃料(焚物)の採取場所として使用され、住民の生活に身近な存在であった。しかし、ほ場整備とともに伐採が進み、残るのはこの横堤のみである。現在ではその歴史的経緯とともに、佐賀平野の原風景としての価値が見直されており、地元住民により大切に管理されている。